よくX(旧twitter)でも、「不登校の子が平日に歩いていると、『今日学校休み?』と干渉されて嫌な思いをした」という投稿を目にします。
私自身も息子と歩いていて言われた経験があります。
確かに「言われると嫌」なのですが、その「嫌」にも程度があると気付きました。
性格の良いおじい様の場合
例えば、以前息子と家の近くを歩いていた時に近所のおじい様に言われたことがありました。
そのおじい様とは「そこそこ親しいけれど、滅茶苦茶親しいわけでは無い」という間柄で、性格は良い人です。
ですので、そのおじい様から「今日は学校休みかい?」と訊かれた時も「単に学校が休みなのか不思議に思っただけ」と私は感じ取りました。
ですので、気まずい気持ちにはなったものの、それほど嫌な気持ちにはなりませんでした。
噂話が好きなおばさまの場合
一方、近所には詮索好きなおばさまもいらっしゃいます😅
その人は明らかに我が息子の情報を入手しようとしていると思われます。
「学校はまだ行ってないですか?」と、私が一人で歩いている時(=息子が一緒でない時)にも訊いてきます。
そして、他の家の情報を私に伝えたりもするのです。
「○○さんのお子さんも学校行っていないみたいだから、そんなに気にしなくても大丈夫だよ」と・・
そのような人なので、うちの息子の情報も恐らくどこか別の人に伝えているのだと思います。
そのための情報収集としての私への質問です😤
このタイプの人からの「学校休み?」という質問はとても嫌な気持ちになります。
質問してくる人によって、意味合いはだいぶ違う
ですので、訊いてくる人によって、質問された私の感情もだいぶ異なります。
性格の良いおじい様のような人から訊かれても、それほど嫌な気持ちにはなりません。
一方、詮索好きおばさまから質問されたら「また、井戸端会議のネタを集めているな」と、気分が悪くなります。
私は比較的感情というものには鈍かったですが、息子たちが不登校になってから結構鋭くなった気がします。
その要因として「学校に行けない息子たちの気持ちを考えるようになったから」が一番大きいと思います。
そして、そこから「学校休み?」と質問してくる大人の中にも、様々な気持ちを持って訊いてくる人たちがいる事もわかりました。
このように私自身の成長にもつながった息子たちの不登校。今はそれほどネガティブに捉えなくなりました。
井戸端会議のネタにされることは未だに許せませんが・・