最近、父が体調を崩しまして、度々母と電話します。
叔母にカミングアウト
そして、先日、母が私の叔母と話をしていたところ、”そう言えば、かにーじゃ君の長男も高校3年だよね。じゃあ、受験だよね” という事を訊かれたそうです。
どこまで深い話をしたのかはわかりませんが「不登校になったことを伝えたよ」と、私に電話で伝えました。
私は「まだ言っていなかったのか?」や「現在は不登校じゃなくて、”立派な”通信制高校生だし!」と、何とも言えない気持ちになりました。
母としては「隠しておきたかったことをカミングアウトせざるを得なくなった」という心情なのでしょうかね?
根強い古い考え
母はいまだに私に「毎日、新聞を読みなさい」と言う人で、昭和の子育て・教育がしっかり染みついている人です(過去記事「私の母の古い固定観念に驚く」)。
ですので、不登校・通信制高校という事は自分の子供・孫には無縁であると考えていたでしょうから、いまだに受け入れられないのかもしれません。
私自身は、息子たちの不登校を経験したおかげで、現在の教育の問題に色々と気付き、「レールから外れた道を歩む」事を積極的に考えられるようになりました。
しかし、「母はレールから外れていることを隠したいし、如何にしてレールに戻すか」をいまだに考えているのでしょう。
私も息子たちの不登校を経験するまでは、敷かれたレールをいかに早く走り抜けるかを考えていて、「そのレールが正しい道に当然つながっている」と思い込んでいました。
「あまり深く考えもしなかった」というほうが適切な気もします。
私自身は、たまたま自分の職種が廃れなかった事と、自分自身が大きな病気をしなかったため、あまり自分の人生を振り返る事も無かった気がします。
しかし、高校の同級生たちの中でも、大学に進学したものの体を壊してしまった人。大卒で希望の企業に就職したものの精神的に病んでしまった人。就職した会社の経営状況が悪くなりリストラされた人を知っています。
必要とされる能力は変化している
景気悪化の影響が大きいですが、社会から必要とされる能力が変わってきている事に私も気付きませんでした。
もはや「レールを速く走る能力」は、機械の方が適していることの方が多いでしょう。
むしろ、道なき道を作るような人間の価値は高まっているようです。
是非、通信制高校生の長男と不登校の中学生次男は、自分たちが輝いている姿を将来見せてほしいと思います。
母が元気なうちにその姿を見届けて、安心してほしいものです。