次男の不登校歴が6年目になりました。
次男が小学生で不登校になった時には、かなり絶望した気持ちになった記憶がありますが(過去記事「小学4年で不登校に」)、今の私は当時と比べて落ち着いただけでなく当時よりも断然人間力がアップしたと感じています。
古い固定観念・常識
その一番の要因は、「長年かけて植え付けられた固定観念が解かれた」事によると思います。
恐らく、同じように感じている不登校の親御さんも、いらっしゃると思います。
次男が小4で不登校になっと当初は「このまま学校に行かないと、授業についていけなくなる!進学もできなくなる!」と焦った記憶があります。
でも現在は「別に学校行かなくても生きていける。進学しなくても生きていける」と、思っています。
むしろ「名門大学に入れば、将来安泰なのか?いや、そんなことは無い」とはっきりと認識することができました。
以前から何となく薄々感じていたものの、「それでもできるだけ偏差値の高い学校に入れば、安定した生活を送れる確率は上がるだろう」と偏差値競争に参加しようとしていたのかもしれません。
しかし、その競争に参加できなくなったことで、改めて教育・人生を考えるようになりました。
自分の学生時代
私が子供の頃は、親や先生に言われたように学校の勉強・授業をこなしていました。
私自身は学校は楽しかったですし、あまり疑問にも思わず「学校は行くべき場所、教科書は読むべきもの」と認識していました。
今思うと、”洗脳されていた”とでも言えるかもしれません。
ただ、私が高校生のころまでは日本経済が右肩上がりの時期でしたので「頑張った分だけ幸せになれる」という雰囲気が日本全体にあったのかもしれません(学生だったのでよくわかりませんでしたが)。
しかし、私が大学受験の頃にはバブル崩壊が起こり、大学卒業するときには就職氷河期・・・
でも、その後も「この厳しい競争に勝つためには、もっと勉強しましょう」という流れが目立った気がします(マスコミの誘導だったのかもしれません)。
学校は選択肢の一つに過ぎない
その後私も父親になり、息子達には”競争で勝つこと”を期待していた部分がありました。
が、次男が不登校になり、その競争のレールから脱落したことによって別の道を考えるようになりました(=考えざるを得なくなった)。
すると、別の道はたくさんあることもわかったし、今まで数十年レールに乗ってきた私自身にとっても他の知らない世界がたくさんありそうなことがわかってきました。
そんなことを教えてくれた不登校。ただ単に「学校に戻す」のではなく、別の世界を歩むための大切な経験として役立てたいと思っています。(息子達だけでなく、私自身にとっても)