息子たちの不登校を経験し、学校に対して色々と深く考えるようになりました。
学校に対して考えていくと、「教育」についても考えることになります(過去記事「教育に対する親の固定観念」)。
辞書の「教育」という単語
そして、教育について考え始めると、そもそも教育とは何なのか?と疑問が湧いてきました。
「教育」を辞書で調べてみると
教え育てること。
望ましい知識・技能・規範などの学習を促進する意図的な働きかけの諸活動。
と書かれています。
「教え育てる」は、まさに感じそのままですね。
そして、次に書かれている「望ましい知識・技能・規範・・・」という文言で気になりました。
「望ましいかどうか」を「誰が判断している」のか?
国が決めている学習内容
学校で学ぶ内容は「学習指導要領」に書かれており、この学習指導要領を作っているのは「文科省」です。
つまり、文科省が「子供たちにとって望ましい知識等」を判断しているということになります。
・〇〇の知識は子供たちは学ぶべき。
・△△の知識は学ぶ必要性は低い。
と。
「学習指導要領が時々改訂」されたり、「受験の方式が変更」になったりという話は、たしかにたまに耳にします。
変更はしているのでしょうが、それが「適切に」なされているのかは疑問が湧きます。
学習指導要領改訂において、外部の教育学者等にも相談はしているでしょうが、その相談された教育学者も、文科省内で改訂の権限を持っている人も「現代の望ましい知識」を把握しているのか?
かなり怪しいと感じます🤔
「歴史総合」と「情報」という科目が新たに始まった事は良かったと思いますが、遅きに失した感は否めません。
日本史で縄文時代からじっくり学び、明治維新や日本国憲法誕生という日本の大切な近現代を学習する時間が足りなくなっていたり、日本の出来事と世界の出来事を別々で関連なく暗記だけしていた状況は長く続いていました。
これらの科目は高校の科目ですが、義務教育の小学校・中学校はどうなのでしょう?
学びの内容・方法に選択肢を
「学びに無駄は無い」という言葉を聞きますが、これは「個人が個人の好みで学ぶ時の事」だと私は思っています。
国の指導要領で子供たち全員に教育をする場合には、「その子供たちが将来役に立つであろう知識を中心に」すべきでしょうし、子供たちも様々な性格・嗜好があるので学ぶ内容に加えて、方法(オンラインなど)も子供たちが選択できるよう多様化させる必要もあると思います。
学ぶ内容も学ぶ方法も、今の子供たちに適していないと思います・・・