コロナの制限も解除され、人々の往来も復活してきています。
そして、親戚の集まりもまた、復活してきました。
妻と長男が妻の実家へ行くことも増えてきました(過去記事「祖父母の家に遊びに行く長男」)し、私の実家に行くことも増えてきました。
すると、当然私は母と会話をすることになるのですが、毎回感じることが「母の固定観念」です(過去記事「息子たちの事について、母と話をするのがストレス…」)。
昭和的な考え?
いまだに「良い大学に入り、安定した職業に就く」事が最良と考えていて、不登校の息子たちについてアドバイスをしてきます。
当然、何の助けにもならない助言で、むしろ私のストレスになるばかりです。
「もっと○○を試してみたら」的なことを会うたびに言うのですが、そんなことはずっと前に試したことばかりです。
そして、私は息子たちの不登校を経験して「今、安定している(と言われている)仕事に就くことが、自分の人生の安定にはならない可能性が高い」と思うようになりました。
ですので、「頑張って受験勉強をすれば勝ち組になれる」などということは、現代ではありえない(と私は思っています)。
そもそも、何をもって「勝ち・負け」か。
この価値観も個人で全く違うでしょう。
なので、母の価値観と、息子たちの価値観がかなり異なる現状では、母のアドバイスは全く的外れの可能性が高く、息子たちを惑わすばかりだと思います。
まあ、母なりに気を使って「息子たち本人には言わずに、私にだけ言う」ので、その点は助かっていますが・・
新聞を読みなさい…
我が家では数年前に新聞(紙の)を購読を止めたのですが、それについても「新聞を読まないと漢字も社会常識も身につかない」と毎回力説し、子供たちにも新聞を読ませなさいと言ってきます。
そして、毎回私はスルーです😅
私はネットでも社会情勢は知ることができるし、むしろネットの方が早くて情報量も豊富です。
情報が豊富な分、間違った内容も多いと思われますが、それを取捨選択する能力こそが、今後は若い人は特に重要と思ってもいます。
「新聞に書かれていることが正しい」と思い込んでいるフシがある母とは、議論しても分かり合えません。
読書しなさい…
「読書をさせなさい」なども以前から言われていましたし、私が子供の頃にも私が言われました。
しかし、私が読書をするようになったのはここ数年です😅
私は「あんなに読書が嫌いだった自分が本を読むようになったのは、年齢を重ねて、本から知ることに興味が出てきたから」だと実感しています。
つまり「興味が出れば、自らやる」。
逆に「興味が無ければ、言われてもやらない」です。
食べ物に関しても、子供の好き嫌いは個人で違いますし、それも成長とともにまた変化します。
私は、自分自身の好み(趣味や食べ物)の変化と、息子たちの不登校を経験して、「やりたいと思った時が、ベストなやり時である」と思うに至りました。
しかし、母とはずっと分かり合えなさそうです…