子どもの居場所で先日、ある小学生が学校に対する不満を私に語ってくれました。
私は、子どもの居場所でボランティアをしていますが、あまり役立つようなことができていません。
ゲーム知らないし、できないし…
それでも「何かの時に少しでも役に立つかもしれない」との気持ちで、続けています。
不登校だった二人の息子たちに対しても、何かをしてやれたという実感はないですが、そもそも「それほど親(大人)ができる事って無い」と考えるに至っています。
ですので、今回ある小学生が語ってくれたことは、私にとってとてもうれしかったです。
ただ、私を信頼して「ぜひ相談したい」と思った感じではなく、「学校の始業式・終業式って長いよね」みたいな会話を子供同士で始めて(ゲームをやりながら)、たまたま近くにいた私も会話に加わっただけです。
子どもの居場所に来ている子は、居場所では比較的元気にしているのですが(過去記事「居場所の子ども達は、結構元気」)、学校になじめずに来ているので、当然、学校に対して良い印象を持っていない子が多いです。
そのようなきっかけで始まった学校への愚痴ですが、ある一人の小学生の不満は止まることを知らず、担任教師に対する不満へとなっていきました。
子ども同士の会話から始まりましたが、複数の異なる小学校・中学校所属の子ども達がいる居場所なので、その子の担任教師のことを他の子ども達は知らないせいか、次第に私に向かってその子は話をするようになりました。
そして、最後には「担任って、いじめがあっても助けてくれないよね」と、かなり深いところまで話をしてくれました。
それに対して、私が何かをできるわけではないのですが、とにかく「その子を否定しない」ように気を付けました。
つい「先生も、大変なんだよ」などと言ってしまえば、「この大人(=かにーじゃ)も、信用できないな!」と思われてしまいます。この点はとても注意しながら聞いていました。
となると、「そうか」「大変だったね」くらいしか言えないのですが、それでよかったと思っています(正解は、多分無いでしょうが)。
「もっと気の利いた返事をしてあげればよかった」と思ったりする一方、「いやいや、大したことはできないよ」というところに落ち着きます。
私に話してくれたことがうれしかったのと、居場所に来ている子供たちはなかなか深い闇を持っていることを知ることができました。
この時は、傾聴するしかできなかったし、それでよかったと思っていますが、今後は私も成長し、別の対応力も身に着けたいと思いました。
なかなか役に立っている実感を感じることができない子供の居場所ですが、ちょっとだけ役に立った気がした出来事でした。
